私たちが目指す生活は「神様を迎える生活」です。
でも、目に見えない神様と生活を共にするというのはイメージが難しい…
そこで、お父様のみ言からそのヒントを得られたので共有したいと思います。特に祝福を受けた夫婦の生活で実践できる内容です。
それは…
「目の前の夫(妻)こそが、神様」ということです
神様の暮らすところは、男性と女性が一つになったところ
神様を迎えるのは、夫婦が一つになったところです。
神様が暮らすところはどこでしょうか。神様は、最も価値のある愛に定着されます。男性と女性の二人がいれば、神様はどこにいらっしゃるのでしょうか。
神様は、一体化して変わらない、統一された愛の最も根底に、垂直にいらっしゃいます。男性と女性が一つになれば、そこが中心点になるのです。神秘的な祈りの境地、霊的体験圈に入って「神様!」と呼べば、内から「なぜ呼ぶのか。ここにいる、ここだ!」と答えられるでしょう。「ここ」というのは、自分の心の中です。心身一体化した愛の中心点、垂直の場です。
『天一国経典 天聖経』P.29 第一篇 神様 第一章 神様の存在と属性 第一節 神様の実存
神様は天の父母様です。男性性相と女性性相の本体です。神様の属性をもとに、人間を2つの種類に分けたのが、男性(夫)と女性(妻)です。
原理で「正分合作用」と言いますが、男性と女性は神様から分かれたものです。つまり、夫と妻は元々1つの存在であり、お互いは未完成な半分の存在であり、1つになることで完全になるということです。
祝福結婚は、神様が用意した男女が受けるものです。それはつまり正真正銘「運命の人」です。したがって、出会うべくして出会い、元々1つだったものが分かれた存在であるので、1つになって完全になるものです。
夫婦が1つの完全な存在になれば、神様の完全な実体対象となって、神様と一心一体になります。そうして神様を迎える生活を送るようになるのが本然の夫婦であり、家庭です。
ただ、2人が一つになるのは簡単なことではありません。それはなぜかと言えば、どうすれば一つになれるか分からないからではないでしょうか。
そこで最初のステップ、ヒントとなるのが「目の前の夫(妻)こそが、神様」ということを知ることです。
はじめの一歩 神様は目の前に
空気というものが存在すると説明するのは難しいです。今この瞬間にも私たちの周りを包んでいるものの、目に見えないために掴みどころがありません。
神様も同じで、目に見えないから掴みどころがなく、説明が難しい。
原理の説明では「本性相と本形状の二性性相の中和的主体で…」とありますが、分かるような分からないような。結局、形がハッキリしないので実感しにくい。
空気があることは、風船や浮き輪が膨らむのを見て認識できます。つまり、目に見える形になってくれれば「確かにそこにある」と実感できるのです。
そこで、目の前の夫(妻)が「神様が目に見えるかたちとして現れている」ことを知りましょう。
その時に「神様のかたちというには、程遠い」と裁く思いは置いておきましょう。それはお互い様です。それに、夫を夫として、妻を妻として完成させるのはあなた(私)の責任ですから。
それよりも、夫(妻)が神様だとすれば、神様を迎える生活というのをイメージできるのではないでしょうか。
朝起きてから夜眠るまで、共に生活する目の前の人こそが神様です。仕事に行く姿も神様であり、家事をする姿も神様その方です。
私が話しかけている夫が神様であり、私に笑いかける妻が神様です。
時に機嫌が悪い時もあるかもしれませんが、神様だって人格があるのだから、多少不機嫌な時もあるでしょう。そんな時には、そばに寄り添って見守ってあげたらいいのではないでしょうか。
また、私を怒らせる時もあるかもしれません。でもそんな時は素直に「傷ついた」と言えばいいのではないでしょうか。
あなたは夫(妻)を怒らせたい、傷つけたいと思いますか。思わないと思いますし、相手も同じです。
目の前の夫(妻)は神様の実体です。
あなたが目にし、語りかけ、共に笑い、時に衝突してしまうのは、神様その方なのです。
では、そんな神様とどんな生活をしたいと思いますか
私たちは神様に触れる事ができる
夫や妻が神様の実体であるならば、あなたは神様としたいことができます。何をしたいですか。
朝、目を覚ましたらおはようと言えるし、一緒に食卓を囲むこともできます。仕事から帰れば、今日あったこと、感じたことを話す事ができます。
晴れた日に一緒に出掛け、自然に触れるとき「この花はあなたが私に見せるために咲かせてくれたんだね」と言って愛でる。雨が降れば「この雨音はあなたが私に聞かせたかった音楽なんだね」と耳を澄ませる。
話す事が思いつかなければ、ただ手を繋ぐだけでもいいと思います。見つめ合っているのは夫(妻)の身体をまとった神様なのです。
夫(妻)との生活が、神様との生活だと感じてください。
その空間は神様の愛に包まれているし、流れていく時間は神様と共に過ごしている時間なのです。
神様を迎える生活、その第一歩は夫(妻)を神様として迎えること
信仰を必死に貫いてきた人、頑張ってきた人ほど、自分一人で神様を求めようと、出会おうとしていないでしょうか。私1人がどれだけ努力しても、神様の半分にしかなりません。
また、神様は目に見えません。霊的五官を取り戻しても見ることはできませんし、霊界に行っても直接触れることはできません。
しかし、目の前の夫(妻)は見ることができます。なぜなら、目に見えない神様が、愛する対象が欲しくて創造されたのが人間であり、夫婦だからです。
祝福を通して結ばれた夫婦は、お互いが神様の実体です。まだ完全に一体化はできていないかもしれませんが、相手を通して神様に触れる事ができます。
目に見えない神様を迎える生活というのはイメージが難しいと思います。でも、夫(妻)が神様である事を知れば、ハッキリと神様を迎える生活を実感できるのではないでしょうか。
私たちはまだまだ成長途中です。祝福の価値、希望は今感じているものより遥かに大きなものです。
全天宙、全人類に神様のこの大いなる恩恵を拡大していくため、まずは夫婦から、その愛を実感していきましょう。
神様は目の前にいますよ!
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