2024年11月17日投開票が行われた兵庫県知事選挙に関連して、様々な報道や分析がなされています。兵庫県議会全会一致で不信任決議が出された結果失職したはずの斎藤知事が、結局再選を果たしたことは小さくない衝撃であったと思います
どのような結果であれ、一人一票で行われた選挙であり、これこそが民主主義の根幹であるため冷静に民意を分析する必要があると思いますが、新聞社、テレビ等、「オールドメディア」とも呼ばれるマスコミはどうにもこの結果を受け入れがたいようです
この件に関して私が感じた違和感について述べてみたいと思います
大手メディアの「敗北」とはどのような意味なのか
17日の開票速報で斎藤知事の再当選が確実となった際、開票速報番組で司会をしていた宮根誠司氏は「大手メディアの敗北」と表現しました
「いわゆる、我々のテレビ、それから新聞社、大手メディアというのは、平等性だとか、選挙の時にね、それからファクトチェック、事実の確認、裏取りってやつ、それからもう一つはプライバシーの問題。こういうものをいろいろ考えながら報道するか、ニュースにするかしないか考えるわけですよね。一方でSNSなんかは、そういうのをポーンと飛び越えちゃう、というところがあって」とコメント。続けて「今回、私個人が思うのは、大手メディアのある意味、敗北ですよね」と結論づけた。
フジテレビ系「Mr.サンデー」2024年11月17日(日)放送より。文面は「日刊スポーツ」11月18日(月)配信の記事
一体、宮根氏は何を持って勝利と敗北を分けたのでしょうか。
一つの解釈として次のように考えられます。
テレビ、新聞社は選挙が始まる前、こぞって斎藤知事について様々な「疑惑」を報じていました。
斎藤知事はパワハラやその他知事としての立場を利用して相応しくない行動を行ってきた。そしてそれを告発した方を探し出した。さらにその方が自ら命を絶たれた。これも知事のせいではないか…
そうして「疑惑」をもって「斎藤氏は知事に相応しくない」という風な報道をしたのだから、選挙で落選してしかるべきだ。ところが、蓋を開けてみると再当選したではないですか
何をもって「敗北」と明言していませんが、「斎藤氏の当選」という「状況」が「大手メディアの敗北」ということであれば、説明がつきます。つまり、
「大手メディアは斎藤氏を落選させようとしたができなかった」ことが「敗北」ということです
もう一つ(擁護的な)解釈をするならば
「SNSなんかは、そういうの(平等性、ファクトチェック、プライバシー等)をポーンと飛び越えちゃう、というところがあ(る)」点で大手メディアが敗北した、ということです
宮根氏は、選挙が行われた翌日「ミヤネ屋」でも同じように発言しています
「我々テレビメディアにも厳しい意見をいただいたんですけど。テレビって選挙戦が始まると公平性が担保されて、今度は事実確認、ファクトチェック、裏取りというのがあって。それが事実かどうかっていうのを確認しないと、放送しないでおこうっていうことになります。踏み込んだプライバシーみたいなのもいかない。候補者がたくさん出られると時間が限られてくる。というところでネットと比べるのがいいのか悪いのか分からないけど、ある意味抑制的に視聴者の方はご覧になってるのかもしれませんね」と投げかけた。
日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」2024年11月18日(月)放送より。文面は「日刊スポーツ」11月18日(月)配信の記事
つまり、「大手メディアは平等性や公平性を担保し、事実を確認した上でしか報道できない、あるいは自主規制によって報道しなかったが、SNSではそれが無いため『情報発信』という点で敗北してしまった」
今回の兵庫県知事選に限らず、2024年は東京都知事選や衆議院選挙も行われ、その時にも「石丸旋風」や「国民民主党の躍進」などSNSは注目されました。その際にSNSでの情報発信について「規制が必要ではないか」「公職選挙法の見直しが必要ではないか」という声が上がっていたので、「情報発信」について大手メディアは思うところがあるのだと思います
ただし、「情報発信(ここでは選挙報道)」について「大手メディアは縛られており、SNSは規制されていない。その点が大手メディアは敗北した」というのであれば、選挙が始まる前から「敗北状態」にあり、選挙結果は関係ないはずです
もし斎藤知事が落選していたとしたら「大手メディアの敗北」という言葉は出ていたのでしょうか
実際、TBSの龍宝社長は2024年11月27日の記者会見で次のように発言しています
「SNSで正確な情報を発信する人も当然いるし、敵ではない。(テレビとSNSが)勝った負けたではなく、有権者に投票のための重要な情報を提供することに尽きる。もっといい届け方があるのではないかという意味で、いろいろ議論していくつもりだ」とも語った。
産経新聞 「選挙報道の在り方を議論」SNSの影響問われTBSの龍宝正峰社長 「敵ではない」とも」
そもそも選挙において戦って勝敗がつくのは候補者だけです。龍宝社長の発言は当然です。宮根氏の言う「大手メディア」は一体何を争って戦っているつもりなのでしょうか
私にはやはり「大手メディアは斎藤氏を落選させようとしたができなかった」ことが「敗北」と捉えているように見えます
龍宝社長は同じ会見でこのように発言しています
交流サイト(SNS)を追い風に斎藤元彦知事が再選された兵庫県知事選の結果を受け、「選挙報道のあり方について、改めて視聴者の信頼や期待に応えられるよう、もっといい形を検討していくことは必要だと思うし、すでに議論を始めている」と述べた。
産経新聞 「選挙報道の在り方を議論」SNSの影響問われTBSの龍宝正峰社長 「敵ではない」とも」
さらに驚くことに、NHKの稲葉会長に至っては次のように発言しています
SNSを追い風に斎藤元彦知事が再選された兵庫県知事選の結果を受け、「どうすれば投票の判断材料を適切に提供していけるか。公共放送として果たすべき選挙報道の在り方を真剣に検討していく必要がある」と述べた。
NHK「選挙報道の在り方検討」 兵庫知事選受け稲葉会長
斎藤知事が再当選した結果を受けて選挙報道の在り方を考えるというのは、その選挙結果に不満があるということです。NHKの稲葉会長は「どうすれば投票の判断材料を適切に提供していけるか」と言っていますが、裏を返せば「判断材料を適切に提供できなかった」といことです
それはつまり「適切に提供できなかったから斎藤知事が当選した」と受け取れるものです
「大手メディアは斎藤知事を落選させようとしたが失敗した。それはある意味SNSに敗北したということである」
宮根氏のように「敗北」という表現をしなかったとしても、前段については龍宝TBS社長や稲葉NHK会長の発言から推測できるものではないでしょうか
ただの憶測にすぎないかもしれませんが、争点はこうした発言が斎藤知事の結果に関わらず、つまり落選していた時にもなされていたか、というところです
大手メディアが考えるべき選挙報道の在り方?
もう一度宮根氏の発言を見てみます
「我々テレビメディアにも厳しい意見をいただいたんですけど。テレビって選挙戦が始まると公平性が担保されて、今度は事実確認、ファクトチェック、裏取りというのがあって。それが事実かどうかっていうのを確認しないと、放送しないでおこうっていうことになります。踏み込んだプライバシーみたいなのもいかない。候補者がたくさん出られると時間が限られてくる。というところでネットと比べるのがいいのか悪いのか分からないけど、ある意味抑制的に視聴者の方はご覧になってるのかもしれませんね」と投げかけた。
日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」2024年11月18日(月)放送より。文面は「日刊スポーツ」11月18日(月)配信の記事
言葉尻を取るようですが、どうやらテレビは公平性を担保し、事実確認したり、プライバシーを考慮して自主規制するのは「選挙が始まってから」のようです
なるほど、選挙前に「疑惑」の段階で連日斎藤知事を貶めていたことに納得です。選挙が始まるとおとなしくなったのは「公平性を担保した」か「事実確認ができなかった」か「プライバシーに配慮」したということでしょうか
「SNSには事実と違うことも書き込まれる」という問題は確かに指摘されるべきです。ただ、そうであればテレビはしっかりと事実確認をして、「疑惑」が「真実」であれば堂々と報道すればいいだけではないでしょうか
結局、確証も得られずにパワハラがあった「かもしれない」、知事によって自ら命を絶たれた「かもしれない」と公共の電波を使って喧伝していただけです。パワハラ等の問題で不信任決議までいったのですから、そうした事実関係は投票する県民にとっては重要な情報なのですから、事実であれば報道するべきでしょう
既に書いた通り、TBSの社長もNHKの会長も選挙結果を受けて「選挙報道の在り方を問題視」しているわけです
テレビが選挙に際して「公平性を担保し、事実に基づいた報道をする必要性」は認識しているようです。SNSでは事実と違う情報が発信される危険性も指摘しています。そうであれば、SNSに流れている情報も含めて、「事実確認、ファクトチェック」をして「公平性を担保」して報道していけばいいのではないでしょうか
よく考えれば、こうした報道は「当然」です。事実確認もせず「疑惑」によって報道する。それも他に山ほど社会問題という「事実」があるにも関わらず「不公平」に番組の時間を割いて行われる
「公平性を担保し、事実に基づいた」報道はただの「真っ当な」報道です
私個人として望むのは、そうした「真っ当な」報道が、選挙期間でなくてもなされるということです。そもそも斎藤知事の「疑惑」が検証され「真実か否か」が明らかになっていれば選挙自体が不要だったかもしれません
そうした意味でも、公共の電波を使用している責任を重く感じ、真っ当な報道を心掛けていただきたいと思うものです
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